|caption=大内宿|width=256}}
大内宿(おおうちじゅく下郷町大内宿(全国伝統的建造物群保存地区協議会) … 当サイトでのローマ字表記から「おおうちじゅく」が標準語・共通語での正式な読みと考えられる。)は、福島県南会津郡下郷町大字大内にある、江戸時代における会津西街道(別称:下野街道)の「半農半宿」の宿場}}の呼称。明治期の鉄道開通に伴って宿場としての地位を失ったが、茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並ぶ同集落の通称、あるいは観光地名として現在も受け継がれている。1981年(昭和56年)に重要伝統的建造物群保存地区として選定され、福島県を代表する観光地の1つとなっている(一部に宿泊施設復活)。
なお、当地の方言である会津弁で大内は「おおち」(6) 大内宿守った "よそ者"(読売新聞『ふくしま古里考 第三部「新県民たち」』 2004年8月6日〜8月17日)(歴史的仮名遣い:おほち/あふち)と発音・表記されるため、標準語・共通語の「おおうち」との対立がある。
南会津の山中にあり、全長約450mの往還の両側に、道に妻を向けた寄棟造の民家が建ち並ぶ。江戸時代には会津西街道(別称:下野街道)の「半農半宿」の宿場であったが、現在でもその雰囲気をよく残し、田園の中の旧街道沿いに茅葺き民家の街割りが整然と並ぶ。
大内宿本陣跡には、下郷町町並み展示館がある。民宿や土産物屋、蕎麦屋などが多数立ち並ぶ。特に蕎麦に関しては、高遠そばの名で知られており、箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習がある。
奥羽山脈山中の、1000m級の山々に囲まれた標高658m前後にある小規模な盆地の東端にあり地形図からは扇状地の扇端上に造られた計画都市のようであるが、詳細は不明。、その東側の崖下には小野川(阿賀野川水系。新潟市で日本海に流れ出る)が南流している。
日本海側気候に属し、夏はフェーン現象で暑くなり、冬は豪雪となる。
旧宿場区域と高倉神社周辺の11.3haが重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、同地区および福島県道131号下郷会津本郷線との接続道周辺などを除く、他の盆地内の平地は農業振興地域に指定されている(千葉大学 宮脇勝研究室)。
周辺の主な山基準点成果等閲覧サービス (国土交通省国土地理院)江戸時代に会津西街道(別名:下野街道、南山通り)の宿場として、寛永20年(1643年)頃に開かれ、盆地内を北北東から南南西に貫く街道に沿って整然とした屋敷割の街並みが形作られた。同街道は、会津藩・若松城(会津若松市追手町。)を出ると、福永宿(会津美里町氷玉福永。)、関山宿(会津美里町氷玉関山。)を経て山岳地に入り、氷玉峠および大内峠を越えて大内宿に入った。大内宿からは中山峠を越えて倉谷宿(