GHQ

連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ)とは、第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を執行するために日本占領政策を実施した連合国軍機関である。連合国軍最高司令部連合国最高司令官総司令部とも。職員はアメリカ合衆国軍人とアメリカの民間人が多数で、他にイギリス軍人やオーストラリア軍人らで構成されていた。

極東委員会の下に位置し、最高責任者は連合国軍最高司令官連合国最高司令官 Supreme Commander for the Allied Powers; SCAP)。日本では、総司令部 (General Headquarters) の頭字語であるGHQ進駐軍という通称が用いられた。支配ではなくポツダム宣言の執行が本来の役目である。結果として、連合国軍占領下の日本は対外関係を一切遼断され、日本と外国との間の人・物資・資本の移動はSCAP の許可によってのみ行われた"United States Initial Post-Surrender Po1icy for Japan", 1945/9/22; For example, SCAPIN-44, SCAPIN-45, SCAPIN-74, SCAPIN-110, SCAPIN-2020.

名称

1945年(昭和20年)8月14日日本政府が受諾通告したポツダム宣言では、日本を占領する組織はoccupying forces of the Allies(「聯合国ノ占領軍」、ポツダム宣言12条)と表現されている。同年9月2日に締結された降伏文書の中では、日本政府はSupreme Commander for the Allied Powers(「聯合国最高司令官」)の指示に従うこととされ、同時に出された降伏文書調印に関する詔書も「聯合国最高司令官」の指示に従うべきことを表明している。この後も日本の法令では「聯合国最高司令官」(連合国最高司令官)と表記されることが多い。連合国最高司令官の下に属する組織は英語表記によればGeneral Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers (GHQ/SCAP) で、「連合国最高司令官総司令部」、「連合国総司令部」と日本語訳され、日本では多くの場合に略称のGHQ(ジー・エイチ・キュー)と呼称GHQ(General Headquarters)は総司令部 ・総本部・総本店など軍事以外にも企業など組織の頂上機関の意である。日本では「連合国軍最高司令官総司令部」という特別な意味を持つ言葉となっているが、日本以外ではその意味を示さず、この意味で使う場合はGHQ/SCAPとするのが正しい。している。

他方で、「軍」を補って、「連合国最高司令官」や「連合国最高司令官総司令部」または「連合国総司令部」のように呼ばれることも多い日本教育制度ニ対スル管理政策(昭和二十年十月二十二日連合国軍最高司令部ヨリ終戦連絡中央事務局経由日本帝国政府ニ対スル覚書)、教育及ビ教育関係官ノ調査、除外、認可ニ関スル件(昭和二十年十月三十日連合国軍最高司令部ヨリ終戦連絡中央事務局経由日本帝国政府ニ対スル覚書)等で使用されている。

概要

連合国軍最高司令官総司令部は、ポツダム宣言の執行のため日本に設置された連合国機関である。1945年(昭和20年)8月14日に、連合国軍の1国であるアメリカ陸軍の太平洋陸軍現在は改編統合されアメリカ太平洋軍隷下である。総司令官のダグラス・マッカーサー元帥が連合国軍最高司令官 (SCAP) に就任し前任はノルマンディー上陸作戦を指揮したドワイト・D・アイゼンハワー、同年10月2日東京で総司令部が設置された。同年9月に、占領下の日本を管理する最高政策機関としてイギリスアメリカ中華民国ソビエト連邦カナダ、イギリス領インドオーストラリアニュージーランドフランスオランダ、アメリカ領フィリピンの11カ国後にビルマパキスタンが加わる。で構成された「極東委員会」が設けられ、連合国軍最高司令官総司令部は極東委員会で決定された政策を遂行する機関になる。

1951年(昭和26年)4月11日にアメリカ大統領トルーマンがマッカーサーを解任した後、米軍のマシュー・リッジウェイ中将就任直後に大将へ昇進している。が最高司令官に就いた。翌1952年(昭和27年)4月28日サンフランシスコ講和条約発効とともに連合国軍最高司令官総司令部は活動を停止した。

連合国軍最高司令官総司令部は、日本を軍事占領するべくイギリス、アメリカ、中華民国、ソビエト連邦そしてカナダやオーストラリア、ニュージーランドをはじめとするイギリス連邦諸国など連合国各国の軍隊から派遣された最大43万人を統括し、多数を占めたアメリカ陸海軍を中心に構成されたアメリカ占領軍 (USOF) と、イギリス軍をはじめとしたイギリス連邦諸国軍を中心に構成されたイギリス連邦占領軍 (BCOF) が連合国軍最高司令官の直下に指揮され、イギリス連邦占領軍は中国・四国地方を担当し、残る都道府県はアメリカ占領軍が担当『英国空軍少将の見た日本占領と朝鮮戦争』P.10 サー・セシル・バウチャー著 社会評論社 2008年している。

日本の占領方式は、連合国軍最高司令官総司令部の指令を日本政府が実施する間接統治が採られ、GHQは統治者の天皇ではなく日本国政府へ関与し、連合国軍最高司令官総司令部の指示や命令を日本政府が日本の政治機構で政策を実施している。連合国軍最高司令官総司令部の命令は、1945年(昭和20年)9月20日に出された勅令「「ポツダム宣言」の受諾に伴い発する命令に関する件」(昭和20年勅令第542号)に基づいて出された勅令、いわゆるポツダム命令ポツダム勅令とも称され、日本国憲法施行後はポツダム政令である。として国民へ公布・施行された。

1946年(昭和21年)2月に政策決定の最高機関として各国代表による極東委員会 (FEC) が、同年4月に最高司令官の諮問機関として対日理事会 (ACJ) が設置されるも、最大の人員と最高司令官を派遣するアメリカが最も強い影響力を持ち続けた。

連合国軍最高司令官総司令部は、まず軍隊を解体し、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、山崎巌内務大臣の罷免、特別高等警察の廃止、政治犯の即時釈放などこれらは「自由の指令」とも俗称される。と、政治の民主化政教分離などを徹底するために大日本帝国憲法の改正、財閥解体農地解放などを指示した。

非共産化と再軍備

国内経済の疲弊から社会主義が流行し、労働運動は非常に盛り上がったが、アメリカやイギリスなどの民主主義国とソビエト連邦との対立、いわゆる冷戦が起こると、左派勢力たる共産党の勢力拡大が恐れられた日本社会党(現在の社会民主党)が結成されたのは1947年11月。為、対日政策の方針転換が行われて、日本列島を『反共の防波堤』にする計画が進み、共産主義者の追放(レッドパージ)を極秘裏に行った。同時に軍国主義・超国家主義者などの公職追放を解除することで、ある程度の右派勢力を回復し、左傾化した世論のバランスを取ろうとした。いわゆる「逆コース」である。

また、工業の早期回復による経済的自立が求められた。朝鮮戦争勃発によって連合国軍の一部が朝鮮半島に移ると、日本国内の軍事的空白を埋める為、警察予備隊の創設と海上保安庁海上警備隊)の強化を実施して、予定を繰り上げて日本の再軍備を行った(ただし最終過程は“新日本軍”設立であり、自衛隊ではなかったという。陸軍悪玉論が日本人の軍に対する感情を支配していたので新軍設立は断念された)。これらによって、日本との早期講和を行い、主権回復させて自力で防衛させることとなり、日本国との平和条約および(旧)日米安全保障条約の発効に至った。

GHQ/SCAPによるこれらの政策は、後に良くも悪くも論じられるが、日本が主権回復した後も、日本の国家の形態や日本人の精神・思想に多大な影響を及ぼし続けていると考えられている。

対日講和

日本政府は敗戦によって軍人や強硬派政治家・官僚が失脚し、吉田茂(外務大臣、後首相)など国際協調派が主導権を握った。吉田らはイタリアなどの枢軸諸国が、早期講和によって賠償や領土割譲を要求されていく様子を見た。健全な戦後復興のためには、高額賠償金の支払いや、領土分割を回避する「寛大な講和」が必要であり、日本政府は「よき敗者」として振舞うことに注力し、講和を急ぐことは「寛大」を勝ち得ないと判断し、占領期間を引き延ばしながら、連合国に対して日本が有利になる時期を見計らった。非軍事民主国家建設によって国際的な評価を得るべく、連合国軍の政策はほぼ忠実に実行した。

一方、冷戦の激化により、日本との講和もアメリカイギリスなど自由主義陣営ソビエトなどの社会主義陣営の間で、主導権をめぐる駆け引きの対象となり、同時に非武装を国是とした日本の防衛をどうするかが大きな課題となった。米国内では、国防省は日本への軍の継続駐留を企図して、国務省主導の講和計画に反対した。日本政府は米国に対し、米軍の継続駐留・将来の日本の再武装を確認する取り決めを行い、見返りに米国の施政権下にある沖縄奄美小笠原に対する日本の潜在的主権を認め、「賠償請求権の放棄」「領土保全」「日本防衛の日米協力」を柱とした米国主導による「対日講和7原則」が決定した。

1951年(昭和26年)の講和会議にはの要求によって、各国の旧植民地も参加した一方、内戦で立場が微妙な「中国」中華民国台湾)及び中華人民共和国)と「朝鮮」大韓民国(韓国)及び朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮))は招かれず、ソビエトは米国主導・中国(中華人民共和国)不参加に不満を持ち、講和阻止の活動を行った。また、旧植民地の東南アジア数カ国は、独立後の財源を確保するべく、「日本による侵略の被害者」を訴えて賠償請求権の放棄に反対したため、日本は2国間交渉によって個別の賠償に応じ、国際社会に誠実さをアピールした。

これらの結果、講和条約には会議参加52カ国の内、調印式典をボイコットしたソビエトなど3国を除く49カ国が調印し、対日国交回復した。条約により、日本は朝鮮半島の独立及び朝鮮の放棄を承認、台湾澎湖諸島の放棄、樺太千島列島の放棄、南洋諸島の放棄、沖縄・奄美・小笠原がアメリカの施政権下におかれることの承認、東京裁判の結果の承認を行った。同時に日米安全保障条約に調印してアメリカ軍の国内駐留を承認し、台湾島に拠点を移した中華民国の中国国民党政府を承認する日華平和条約を締結することで反共の姿勢を打ち出し、正式に西側陣営に組み込まれた。

主権回復した日本は、国際連合に加盟する為、国連安保理拒否権を持つソビエトとの国交回復を1956年(昭和31年)11月に実現させ、ソビエトの承認を受けて同年12月18日国際連合に加盟、国際社会へ復帰した。その後は軍事的な対米従属の下で経済的繁栄を目指し、1970年代には主要先進国の一つとなった。同じく占領され、同時期に経済的繁栄を手にした西ドイツの主権回復は1955年、ソビエトとの和解は1970年、国連加盟は1973年であり、東西ドイツが再統合される1990年まで講和会議は行われていなかった。(ドイツ最終規定条約を参照)

年表

1945年(昭和20年)
1946年(昭和21年)
1947年(昭和22年)
  • 1月31日 マッカーサー、二・一ゼネスト中止命令。伊井、NHKでスト中止を発表(後に占領政策違反で逮捕)。
  • 5月 総司令部内に賠償局を設置。
  • 5月 GHQ、日本政府に対し「帝国」の語の使用を禁じる。
  • 5月3日 日本国憲法施行。
  • 7月11日 マッカーサーの進言により、米国政府が連合国に対し、対日講和会議の開催を提案。
  • 7月22日 ソ連が米国提案の対日講和会議に反対。
1948年(昭和23年)
1949年(昭和24年)
1950年(昭和25年)
1951年(昭和26年)
1952年(昭和27年)

脚注

参考文献

  • 天川晃 監修、荒敬 編集・解説『GHQトップ・シークレット文書集成』(柏書房、1993年〜1996年)
    • 第1期 ISBN 4-7601-1028-3、第1期インデックス ISBN 4-7601-1125-5
    • 第2期 ISBN 4-7601-1197-2、第2期インデックス ISBN 4-7601-1370-3
  • 荒敬・内海愛子・林博史編『国立国会図書館所蔵 GHQ/SCAP文書目録』(蒼天社出版、2005年) ISBN 4-901916-12-2
  • 竹前栄治・中村隆英 監修、天川晃ほか 編『GHQ日本占領史』全55巻・別巻1(日本図書センター、1996〜2000年)
  • 竹前栄治『戦後労働改革 GHQ労働政策史』(東京大学出版会、1982年) ISBN 4-13-051020-7
  • 竹前栄治『GHQ』(岩波新書、1983年) ISBN 4004202329
  • 週刊新潮編集部 『マッカーサーの日本』 (新潮社 1970年、新潮文庫 上下 1983年) ISBN 4101310017、ISBN 4101310025
  • 住本利男 『占領秘録』(毎日新聞社 上下、1952年、新版(全1巻) 1965年/中公文庫 1988年、新版2014年7月) ISBN 4122015448
  • セオドア・コーエン、大前正臣訳 『日本占領革命 GHQからの証言』(TBSブリタリカ 上下、1983年) ISBN 4484001837、ISBN 4484001845
  • マーク・ゲイン、井本威夫訳 『ニッポン日記』(筑摩書房 上下 1952年/筑摩叢書 1963年、ちくま学芸文庫 1998年) ISBN 4480084282
  • 櫻井よしこGHQ作成の情報操作書 「眞相箱」の呪縛を解く』(小学館文庫、2002年) ISBN 4-09-402886-2
  • 甲斐 弦 『GHQ検閲官』(葦書房、1995年) ISBN 4-7512-0604-4
  • 占領史研究会編著 『GHQに没収された本 総目録』(サワズ出版、2005年) ISBN 4-87902-023-0
  • 西尾幹二 『GHQ焚書図書開封 1・2・3・4・5』(徳間書店、2008〜2011年)。以後も刊行中
  • デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』(The Coldest Winter, 2007) 山田耕介・山田侑平訳(文藝春秋 上下、 2009年/文春文庫 上下、2012年)
  • Yoshida, Yukihiko, Jane Barlow and Witaly Osins, ballet teachers who worked in postwar Japan, and their students, Pan-Asian Journal of Sports & Physical Education, Vol. 3 (Sep), 2012.
  • 高橋史朗 『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』致知出版社 (2014/1/29)

関連項目

外部リンク

Category:有楽町

wikipediaより

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