コミュニケーションは、社会生活を営む人間の間で行われる知覚や感情、思考の伝達広辞苑 第五版 pp.1004-1005 コミュニケーション。または単に、(生物学な)動物個体間での、身振りや音声、匂い等による情報の伝達。辞書的な字義としては、人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達デジタル大辞泉、などと定義付けられる。
働きかけるだけでなく、他者から受け取った情報により、相手の心の状態を読み取ったり共感したりすることも含まれる(他者理解)他者理解の困難な自閉症の子どもは、ポテトチップスの筒の中にアイスバーが入っていることを知らされても、他の子どもであればその筒の中にはポテトチップスが入っていると答えるはずだ、ということが推測できないことがある(サリー・アン課題も参照)。
イヌやネコも、イヌやネコなりにコミュニケーションをしているが、しかし人間のように細やかな関係をつくることはできない。「刎頚の交わり」すなわち、首を切られても悔いが無いような親しい友人関係という言葉があるほどに、人間は親密になることも可能である。
加藤秀俊はその理由を、ひとつには人間が「ことば」を使えるからであり、お互いに「わかる」ことができ、共感(Empathy)を持つこと、共感することができるからであるとする。加藤によれば、共感とは、ひとりの人間の内部に発生している状態ときわめてよく似た状態がもうひとりの人間の内部に生ずる過程である。例えば、誰かの「痛い」という言葉を聞いた時、聞いた人の内部では次のような過程が発生する。「痛い」という言葉によって表現されたからだの状態に似た状態を、聞き手はみずからの体験に即して想像する。聞き手はべつだんその部分に痛みを感じるわけではないが、「痛い」という言葉によって表現しようとしている身体の状態がどのような性質であるかを知っているのである。また、共感はしばしば、生理的な次元でも起きる。例えば、親密な関係においては、痛みはたんに想像上経験されるだけでなく、実際の生理的な痛みとして体験されることもあるという。また、フィクション上の登場人物の行動に心拍数が上がるとき、観客(読者)は、その登場人物に自分自身を置き換えると言えることから、人間は「相手の身になる」能力を持っているのであるという。
加藤は、ことばを用いた共感について、小説を読んでいるときの人間の心のうごきを分析して、インクのシミのあつまりに一喜一憂する奇妙な行為であると述べる。このことから、人間は「実在世界的世界の速記法として、記号の世界を泳ぐ能力を持っている」というここで言う記号とは何かと言うと、C・モリスの定義のように「あるモノが眼のまえに存在していないにもかかわらず、それが存在しているかのような反応をおこさせる刺激」ということである(『人間関係 理解と誤解』p.71)。
人間は記号によってうごく。そして人間同士は、記号を用いて互いに共感しあうことができる。加藤は、共感の過程をコミュニケーションと呼ぶ。共感がつみかさねられてゆけばゆくほど、人間関係は深くなってゆくとし、加藤によれば人間関係はコミュニケーションの累積だと言う。また、お互いに記号を交換しあうことなしに成立する人間関係というのは、ほとんど想定できないとし、手紙、デート、おしゃべり、会議など、どんな関係であれ、人間関係は記号、言葉の交換を通じて成立しており、「ことばをかける」ということは人間関係の基本的な条件であるという。
人間はコミュニケーションを行う時、言葉を使い互いの感情や意思を伝えあってもいるが、「目は口ほどにものをいう」といった諺にも示されているように、言葉よりも、顔の表情、視線、身振りなどが、より重要な役割をになっていることがある。
日常的に人間は複数の非言語的手がかりを使いメッセージを伝達しあっている。これを非言語的コミュニケーション(nonverbal communication: NVC)という。この非言語的なコミュニケーションは、意識して用いていることもあれば、無意識的に用いていることもある。
顔の表情、顔色、視線、身振り、手振り、体の姿勢、相手との物理的な距離の置き方などによって、人間は非言語的コミュニケーションを行っている。
人間は、いくら言葉をたくさん使っても理解し合うことが難しい。加藤秀俊はこれを「対話は、人間の内部で起きているからである」と説明している。ひとりの人間の内部には「もうひとりの自分」がいる。それは別の表現で言えば「取り込まれた他人」ということでもある。2人の人間のあいだで進行しているようにみえるコミュニケーションは、実はひとりの人間の内部でのコミュニケーションでもある。加藤は、この人間内部のコミュニケーションを「個体内コミュニケーション Intrapersonal communication」と呼んで、「対人的コミュニケーション Interpersonal communication」と区別した。加藤は、個体内コミュニケーションがうまくいっていない例として、ワンマン的な社会関係(「権威主義」的な社会)を挙げている。ワンマンは「もうひとりの自分」を持っていないので「理解」能力のない人と呼ばれるという。
(翻訳元は英語版)
男性と女性とでは、人とコミュニケーションをする時の仕方が大きく異なっている。例えば、女性は自分のことを述べる頻度が男性よりも多いとされる。女性は男性よりも自分の個人的なことを詳しく述べ、相手と親しい話をしながら相手との信頼を深める傾向にある。一般的に言えば、女性は男性よりも、コミュニケーションを重要視しているとされる。
伝統的に、男性は男性とコミュニケーションを行い、女性は女性とコミュニケーションを行ってきたが、その方式は異なっている。男性は利害が共通することにより他の男性と親しくなるが、女性は相互支持に基づいて他の女性と親しくなるとされる。しかし男性も女性も、異性と親しくなるのは共通の要因による。共通の要因とは、近くにいること、受容、努力、コミュニケーション、共通の利益、愛情、新奇さなどである。
他の人とどのようにコミュニケーションを行うかを決める時に、状況というのは重要である。個々の人間関係において、どのような伝え方をするのが適切かを理解することは重要である。特に与えられた状況で、親しさや愛情がどのように伝えられるかを理解することは極めて重要である。例えば、男性は親しい関係においても競争を念頭に置き、自分の弱さや傷つきやすさを述べることを避ける傾向にある。男性は他人とのコミュニケーションにおいて、自分の個人的なことや感情に関することを話したがらないとされる。男性は友人と一緒に活動をして友情を交換しながら親しさを伝え、テレビでスポーツを見る時のように、互いに肩を並べて親しさのコミュニケーションを行うことが多いとされる。
これに対して、女性は自分の弱さや傷つきやすさを述べることを気にしない傾向がある。実際、女性はそれを述べる時に友情を深めることが多いとされる。女性は友人を身近に感じ、女性にとって友人とは、相互に批判しない関係、支持し合う関係、自己評価を高め合う関係、正当であると認め合う関係、快適さを提供し合って人間的成長に貢献し合う関係であり、女性は友人の価値を重んじているとされる。女性は、昼食を共にする時のように、顔を向かい合わせて親しさのコミュニケーションを行うことが多いとされる。
異性の友人とコミュニケーションを行うことはしばしば困難であるとされる。なぜならば、男性と女性が友人関係において使用する表現方法が根本的に異なることが多いからである。男性は女性よりも身体的な接触を性的な欲求と結びつける。また、男性は女性よりも異性関係においてセックスを求めることが多い。こうしたことにより、異性間のコミュニケーションは、非常に困難なものになる。こうした困難を乗り越えるためには両者ともに、男性のコミュニケーションの仕方と女性のコミュニケーションの仕方について、オープンに話し合うことが必要である。
コミュニケーション文化が存在するとは、人々の集団において、互いにコミュニケーションを行う際の標準的なやり方が存在しているということである。コミュニケーション文化は、男性のものと女性のものに分けることができる。Julia T. Wood は、研究により「男性であることと女性であることの文化的定義をする上で、コミュニケーションがどうであるかは重要である」と述べているWood, J. T. (1998). Gender Communication, and Culture. In Samovar, L. A., & Porter, R. E., Intercultural communication: A reader. Stamford, CT: Wadsworth.。男女のコミュニケーション文化は、まず最初に形成され、他の文化との相互作用により維持されている。我々は他者とのコミュニケーションを通じて、我々の文化が、我々の性にどのような活動をするように命じているかを学ぶのである。「性が差異の根源である。性が、人々が他者に関与する仕方や他者とコミュニケーションを行う仕方を規定している」と広く考えられているが、実際、性は重要な役割を果たしていると、Woodは述べている。全ての文化は、男性の文化と女性の文化に分けることができる。男性の文化と女性の文化は、コミュニケーションの方式が異なっており、また、他者とどのように折り合って行くかという点で異なっている。男性文化と女性文化とでは、コミュニケーションを行う理由とその仕方が全く異なっているとされる。その他のコミュニケーション文化としては、アフリカ出身のアメリカ人のもの、高齢者のもの、アメリカ先住民のもの、ゲイの男性のもの、レスビアンの女性のもの、障害者のものなどがある、とWoodは述べている。
などを挙げている。
しかしこの主張は、性別に根拠を置いて一般論とするには無理があり、個人差や文化的背景が大きな要因となりえるともいえる。
その一方で、男性も女性も一般的には同じ方法でコミュニケーションを行っているという研究結果もある。Suzette Haden Elginらは「タネン教授の研究は、ある特定の文化の、ある特定の経済的状況の女性にだけ当てはまる」と批判し、女性は男性よりずっと多くの単語を話すと一般的に信じられているが、それは事実ではないと説いた。
実際、コミュニケーションにおいて性別による何らかの違いや特性があることを否定することはできない。Julia T. Wood 教授は、男性文化と女性文化の違いが、コミュニケーションにどのような影響を与えているかを説明している。二つの文化の違いは、子ども時代から始まっている。Maltz と Broker の研究Maltz, D., & Borker, R. (1982). A cultural approach to male-female miscommunication. In J. Gumperz (Ed.), Language and social identity (pp. 196-216). Cambridge, UK: Cambridge University Press. は、子どもたちの遊びは、子どもを社会化して、男性文化と女性文化を取り込ませる働きがあると述べている。 例えば、女の子のままごとは、個人的な人間関係を発展させるが、決められたルールや目標は無い。これに対して、男の子は、異なった目標や戦略を持つ競争的なチーム・スポーツをすることが多い。こうした子ども時代の差は、女性のコミュニケーションの方式とルールを女の子に学ばせる機会となる。女性のコミュニケーションの方式は、男性のものとはかなり異なっていると述べている。
西洋のコミュニケーションの方式が、アジア文化の中で行われているとは限らないのと同じように、男性のコミュニケーションの方式が、女性の文化の中で行われているとは限らない。逆も同じである。Wood 教授は、男性も女性も、どのようにすれば異性とうまくコミュニケーションができるかを説明して、次の6つの提言を行っている。
経営のコミュニケーションは「人、物、金、情報」といった経営資源の一つとして位置づけられる。その中心にマーケティング・コミュニケーションがある。従来マーケティングミックスの4Pの一つ、「プロモーション」に代わって、最近マーケティングミックスの4Cの一つとして「コミュニケーション」が注目されている。また、統合マーケティングコミュニケーション(IMC)も、マーケティングの中のコミュニケーションとして位置付けられている 水野由多加・妹尾俊之・伊吹勇亮『広告コミュニケーション研究ハンドブック』有斐閣 2015年。
新聞やテレビ、ラジオ、インターネットなどのマスメディアを通じ大衆に大量の情報を伝達するマスコミュニケーションも、コミュニケーションという語が含まれていることからもわかるとおりコミュニケーションの一種である。ただし他のコミュニケーションが多かれ少なかれ双方向性を持つのに対し、情報の受け手である一般大衆から情報の送り手であるマスメディアへの反応が非常に微弱なものであり、ほぼ送り手であるマスメディアから受け手である一般大衆への一方的な伝達の傾向を強く持つのが特徴である。インターネットの普及によって、インターネットメディアにおいてはこの一方向性はやや薄まったものの、在来のマスメディアにおいてはこの傾向に変化はない。
こうしたマスコミュニケーションは、はるか古代に筆記がはじまり、文字のしるされた文書が残されるようになった時にはじまった。筆記によってそれまで会話によるしかなかったコミュニケーションの保存が可能となり、遠隔地やはるか後世の人々にも情報の伝達ができるようになったためである。当初粘土板やパピルスによっていた記録は、2世紀初頭に後漢の蔡倫が紙を開発したことでより容易なものとなった。紙や羊皮紙などの記録媒体と墨やインクといった筆記材料をもとに印刷と出版がはじまり、これらは15世紀にヨハネス・グーテンベルクが活版印刷術を発明してから急速に拡大し、社会・文化など各方面において大きな影響を及ぼした山本武利責任編集『新聞・雑誌・出版 叢書 現代のメディアとジャーナリズム5』p.153、ミネルヴァ書房、2005年11月20日初版第1刷発行。
活版印刷術は新聞や雑誌といった出版文化の隆盛をもたらしたが、いまだ即時性を獲得してはいなかった。19世紀に入ると電気学の進歩によって電信や電話といった即時性のある遠隔コミュニケーション手段が開発されたが、これはマスコミュニケーションではなく一対一の連絡手段として発達していった。1894年にはこの技術を基盤として無線通信が誕生し、線によってつながっていない船舶や極度の遠隔地においても即時のコミュニケーションが可能となったものの、これもまた一対一の連絡手段を志向する発展を遂げていった。ふたたびマスコミュニケーションが大きく発展するのは、無線通信技術を基礎として1920年代にラジオ放送が開始されたときのことである。このラジオの開発によってマスコミュニケーションは即時性を獲得し、さらに出版メディアとは異なり国境をやすやすと越えることができ、音声メディアであるために文字の読めない人々にも情報を届けることが可能となった。20世紀後半にはテレビの開発によってマスコミュニケーションは音声のみならず映像をも人々に伝達することが可能になり、さらに大きな役割を果たすようになった。いっぽうラジオは1950年代中盤のトランジスタラジオの開発によって小型化が進み、電池の改良と相まってどこにでも携帯することが可能になった柏木博『日用品の文化誌』p.149、岩波書店、1999年6月21日第1刷。1990年代後半にはインターネットが普及することにより、マスメディア以外の一般市民の多くも不特定多数への情報発信を行うことが可能となり、また携帯電話の登場によって個人間のコミュニケーションもまた線から解き放たれ、どこにいても連絡を取り合うことが可能となった。
生物学の領域では、ある動物の個体の身振りや音声などが同種や異種の他の個体の行動に影響を与え、かつ、それらの信号を送った側の個体に有利になる場合に、個体間で情報が伝えられた、と考えて、そのような情報伝達を「コミュニケーション」と呼ぶということが行われている『岩波生物学辞典 第四版』p.481【コミュニケーション】。
動物のコミュニケーションは種に共通しているが固定的ではなく、発信者の置かれた状況によって柔軟に変化する。またコミュニケーション信号のやりとりは同種間だけでなく異種間でも行われる。
コミュニケーション信号が交換されるとき、それは双方がそのやりとりから利益を受け取っていることを意味する。別種間、特に利害が相反する捕食者と被食者が、コミュニケーションによってどのように利益を得ているかは激しい議論がある。
コミュニケーションを最大活用したゲームがある。