タンチョウヅル

タンチョウ(丹頂広辞苑 第5版』 岩波書店。「たんちょう」Grus japonensis)は、ツル目ツル科ツル属に分類される鳥類。

その美しさから、日本中国では古来深く親しまれてきた鳥である
折鶴、千円札、昔話などで身近なことから、鶴(タンチョウ)は日本を象徴する鳥になっている。

分布

日本北海道東部)、ロシア南東部、中華人民共和国大韓民国北部、朝鮮民主主義人民共和国

種小名japonensisは「日本産の」の意。

アムール川流域で繁殖し、冬季になると江蘇省沿岸部や朝鮮半島ヘ南下し越冬する
日本では北海道東部に周年生息(留鳥)し、襟裳岬以東の太平洋岸・根室海峡沿岸部・オホーツク地区・1982年以降は国後島歯舞諸島・2004年以降は宗谷地区でも繁殖している。越冬地は主に釧路湿原周辺だったが、近年は十勝平野西部や根室地区での越冬例が確認・増加している
日本で最も有名な生息地は釧路湿原一帯であるが極稀に石狩平野の上空を飛来することがあり、鳴き声が聞かれる。2015年5月31日に札幌上空で飛来が確認された。

形態

全長102 - 147センチメートル。翼長64 - 67センチメートル。翼開長240センチメートル体重4 - 10.5キログラム。全身の羽衣は白い。眼先から喉、頸部にかけての羽衣は黒い

頭頂には羽毛がなく、赤い皮膚が裸出する。タン(丹)は「赤い」の意で、頭頂に露出した皮膚に由来する虹彩は黒や暗褐色。嘴は長く、色彩は黄色や黄褐色。後肢は黒い。次列風切や三列風切は黒い。気管は胸骨(竜骨突起)の間を曲がりくねる

File:Grus japonensis (Aqua Zoo).jpg|全身像
File:wiki-c-tantyo-head.jpg|タンチョウの頭頂部
File:Red-crowned Crane Osaka.jpg

生態

湿原河川などに生息する。冬季には家族群もしくは家族群が合流した群れを形成する。日本の個体群と大陸産の個体群は鳴き交わしに差異がある

食性は雑食で、昆虫やその幼虫、エビ類・カニ類などの甲殻類、カタツムリ類・タニシ類などの貝類、ドジョウ類・コイヤチウグイヌマガレイなどの魚類エゾアカガエルなどのカエル、アオジコヨシキリなどの鳥類の雛、ヤチネズミ類などの哺乳類、セリハコベなどの葉、アシスゲフキなどの芽、スギナの茎、フトモモミズナラなどの果実などを食べる

繁殖様式は卵生。繁殖期に1 - 7平方キロメートルの縄張りを形成する。湿原(北海道の個体群は塩性湿原で繁殖した例もあり)や浅瀬に草や木の枝などを積み上げた直径150センチメートル、高さ30センチメートルに達する皿状の巣を作り、日本では2月下旬から4月下旬に1 - 2個の卵を産む。日本では大規模な湿原の減少に伴い、河川改修によってできた三日月湖や河川上流域にある小規模な湿地での繁殖例が増加している。雌雄交代で抱卵し、抱卵期間は31 - 36日。雛は孵化してから約100日で飛翔できるようになる


ファイル:Grus japonensis baby.jpg|雛
ファイル:Grus japonensis -Hokkaido, Japan -several-8.jpg|群れている様子
ファイル:Japanse kraanvogels in Akan International Crane Centre, -24 februari 2012 a.jpg|鳴き声を上げているタンチョウ
ファイル:Grus japonensis 2010 ueno.ogv|餌をついばむ姿

人間との関係

日本では1133年の詩序集が丹頂という名称の初出と推定されている久井貴世 「江戸時代の文献史料に記載されるツル類の同定―タンチョウに係る名称の再考察―」『山階鳥類学雑誌』第45巻 1号、山階鳥類研究所、2013年、9-38頁
奈良時代以降は他種と区別されず単に「たづ・つる」とされ、主に「しらたづ・しろつる」といえば本種を差していたがソデグロヅルも含んでいたと推定されている。江戸時代には白鶴は主にソデグロヅルを指すようになったが、本種が白鶴とされる例もあった
江戸時代の草本学でも、現代と同様に鶴といえば本種を指す例が多かった。1666年の訓蒙図彙では鶴(くわく)の別名として「つる、たづ、仙禽」が挙げられ仙禽は本種の漢名であること、不審な点はあるものの図から鶴といえば主に本種を差していたと推定されている。一方で1695年の頭書増補訓蒙図彙では図は変わらないものの、本種ではなくソデグロヅルかマナヅルを差したと思われる本草網目からの引用・訳文と推定される解説(頬や後肢が赤い)が付け加えられている。1789年の頭書増補訓蒙図彙大成では解説は変わらないものの図が新たに描きおこされ、たんてう(丹頂)の別名も追加された本朝食鑑では、鶴は和名類聚抄にある葦鶴(あしたづ)であるとして俗称は丹頂であると紹介している。古くはより広域に分布し一般的であったか、後述するように縁起物や芸術作品といった造形物を目にする機会が多かったことから鶴といえば本種という認識が定着していったと考えられている。一方で古くは現代よりも広域に分布していたとはいえ日本全体では本種を見ることはまれであり、実際には鶴はマナヅルを差していたという反論もある。地域差もあり備後国(福山志料1809年)・周防国(周防産物名寄1737年)・長門国(舟木産物名寄帳1739年)の文献では鶴の別名を「マナツル」としており、これらの地域では鶴はマナヅルを指していたと推定されている。紀州国(紀伊国続風土記1839年)では特徴(頭頂が白く頬が赤い)から鶴(白鶴)はソデグロヅルを指していたと推定され、紀産禽類尋問誌(年代不明)では丹頂は飛来しないとする記述がある
1708年の大和本草には頭頂が赤く後肢が黒い松前(北海道)に分布する「丹鳥」という鳥類の記述があるが、色は黒いとされている。小野蘭山による1801年の大和本草批正では「丹頂」と「丹鳥」を区別し、「丹鳥」は「玄鶴」であるとしている。玄鶴に関しては定義が不明瞭なため同定は困難でオグロヅルカナダヅルクロヅルナベヅルナベコウセイケイ(玄鶴の別名を青鶏とする文献があるため)を指すなど複数の説がある。「丹鳥」を本種とする考えもあり「丹鳥」を「丹頂」に書き換える例も多く見られるが、古くは「丹鳥」は複数の定義をもつ語であったと考えられ大戴礼記・あい嚢鈔・和爾雅ではホタルの別名、本草網目目録啓蒙ではキンケイを指す語であったと推定されている。観文禽譜では本種に朝鮮鶴の名称をあてた例もあるが、これは単に朝鮮半島に由来する鶴の意と推定されている

アイヌ語では「サロルンカムイ」と呼ばれ、「葦原の神」の意。縁起物や芸術作品のモチーフとされることもあった1964年に北海道の道鳥に指定されている

アムール川流域では野火による植生の変化や巣材の減少により、中華人民共和国では農地開発による繁殖地の破壊などにより生息数は減少している
日本
日本では1924年に釧路湿原で再発見されるまでは絶滅したと考えられていた住吉尚 「釧路のタンチョウ―保護の歴史と現状」『世界の動物 分類と飼育10-II (ツル目)』黒田長久、森岡弘之監修、東京動物園協会、1989年、121-124頁。
北海道では地方自治体や自然保護団体による土地の買い上げ(ナショナルトラスト運動)や、冬季に穀物を給餌している。初期にもセリの移植・ドジョウの放流やソバの散布・1940年には餌を奪う他の鳥類の駆除などの保護対策が行われたが、冬季の食糧不足から生息数はほとんど上昇しなかった。1952年に大雪に伴い人里に近づいた個体に対し、阿寒村・鶴居村で餌付けに成功した。1960年代までは増加傾向にあったが、1960年代前半以降は主に電線との衝突による事故死(1964・1965・1972・1973年は生息数の約10%が事故死し、以降は年あたり約10羽が事故死)により生息数が減少した。原因は不明だが1970年代後半から再び生息数が増加した。生息数が増加する一方で人間への依存度が高くなり、生息数増加に伴う繁殖地の不足が問題となっている。生息環境の悪化、他種の鳥類も含む過密化による感染症などのおそれ、電柱による死亡事故・車両や列車との交通事故・牛用の屎尿溜めへの落下事故の増加などの問題も発生している。餌づけの餌目当てに集まるキタキツネエゾシカオジロワシオオワシなどと接する機会が増えるが、これらのうち捕食者に対しては餌付け場で捕食されることはないものの見慣れることで警戒心がなくなってしまうこと・イヌやシカについては湿原の奥地まで侵入し繁殖への影響が懸念されている
日本では北海道庁では1889年に狩猟が禁止され、1890年に千歳市周辺が禁猟区に指定、1892年に日本国内でのツル類の狩猟が禁止、1925年に再発見された地域が禁猟区に指定された1935年に繁殖地も含めて国の天然記念物1952年に「釧路のタンチョウ」として繁殖地も含めて特別天然記念物、1967年に地域を定めず種として特別天然記念物に指定されている1921年出水ツル渡来地が「鹿児島県のツルおよびその渡来地」として越冬地(本種が飛来することはまれ)が国の特別天然記念物に指定されている1993年種の保存法施行に伴い国内希少野生動植物種に指定されている 国内希少野生動植物種環境省・2017年3月2日に利用)
北海道での1952 - 1953年における生息数は33羽1962年における生息数は172羽、1988年における生息数は424羽2004年における生息数は1,000羽以上、2012年における確認数は1,470羽で生息数は1,500羽以上と推定されている。2008年の繁殖ペア数は285ペア、2010年の繁殖ペア数は345ペアが確認されている

生息数が順調に増加していることを受け、2016年7月、給餌などの保護増殖事業を行っている環境省がこれらの事業を将来的に終了する方針を示している

江戸のタンチョウ

江戸時代には、江戸近郊の三河島村(現在の荒川区荒川近辺)にタンチョウの飛来地があり、手厚く保護されていた
『東京 昔と今 II』 宮尾しげを、保育社カラーブックス、1963年、69ページ

タンチョウは毎年10月から3月にかけて見られたという。幕府は一帯を竹矢来で囲み、「鳥見名主」、給餌係、野犬を見張る「犬番」を置いた
給餌の際はささらを鳴らしてタンチョウを呼んだが、タンチョウが来ないときは荒川の向こうや西新井方面にまで探しに行ったという
タンチョウは午後6時頃から朝6時頃まではどこかへ飛び去るので、その間は矢来内に入ることを許された
近郷の根岸、金杉あたりではタンチョウを驚かさないように凧揚げも禁止されていたという

こうした“鶴御飼附場”では将軍が鷹狩によって鶴を捕らえる行事も行われた。これについては鶴御成を参照されたい。

文化の中のタンチョウ

東アジアにおいては古くから、タンチョウはその清楚な体色と気品のある体つきにより特に神聖視され、瑞鳥とされ、ひいては縁起のよい意匠として、文学や美術のモチーフに多用されてきた
翱翔一萬里,來去幾千年----中華鶴文化解讀世界之門

また、「皇太子の乗る車」を指して「鶴駕(かくが)」と呼ぶように、高貴の象徴ともされた。

道教的世界観の中ではとくに仙人仙道と結びつけられ、タンチョウ自体がたいへんな長寿であると考えられた
淮南子・說林訓に「鶴寿千歲、以極其遊。蜉蝣朝生而暮死、而尽其楽」とある。http://ctext.org/huainanzi/shuo-lin-xun/zh中国哲学書電子化計画
ほか、寿星老人が仙鶴に乗って飛来するとか
岡登貞治 『文様の事典』 東京堂出版、1989年。203ページ
周の霊王の太子晋が仙人となって白鶴に乗って去った
『広辞苑 第5版』 岩波書店。「かくが」
といった説話が伝えられている。
舞楽の曲に『崑崙八仙』(ころばせ)と呼ばれるものがあり、奈良国立博物館には同名の舞楽面が伝わっているが、この舞は崑崙山に住む八人の仙人“崑崙八仙”(こんろんはっせん)が鶴の姿になって舞い踊る様を表すという
舞楽面 崑崙八仙文化遺産オンライン国家林業局が、同国の国鳥にタンチョウの選定を提案し、国務院も受け入れたが、タンチョウの学名、英名ともに「日本の鶴」を意味することから、後に議論を呼ぶこととなった
2008年9月4日 サーチナ「タンチョウの中国国鳥化に異議、「学名が“日本鶴”!」

中国では先述のとおり、古くからタンチョウが親しまれ愛されてきた経緯がある。選定の際にはインターネットでのアンケートを参考にしており、全510万票のうち65%を獲得するという圧倒的な得票率であったという


File:河南博物院藏莲鹤方壶.jpg|鶴と蓮をモチーフに象った“蓮鶴方壺”(春秋戦国時代)。蔵。故宮博物院にも同様のものがある。
File:Songhuizong5.jpg|1112(政和2)年のある日、皇宮の上に忽然と祥雲生じ、群鶴が舞い、衆人みなこれを目撃したという。この作品は、文人として知られる皇帝・徽宗が、これを記念して描き、詩を添えたもの。
ファイル:Bian Jingzhao. Bamboo and Cranes. Palace Museum, Beijing.jpg|『竹鶴図』、15世紀。
File:Pine, Plum and Cranes.jpg|沈銓『松梅双鶴図』、18世紀。
File:Pine Tree and Crane by Xu Gu.jpg|『松鶴延年図』、19世紀。頸の折り曲がり具合などやや実際と異なるようにも見える。
ファイル:SummerPalace2.jpg|頤和園・楽寿堂の鶴像

参考文献

関連項目

外部リンク

Category:中国国家一級重点保護野生動物

wikipediaより

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