景観(けいかん)とは、日常生活において風景や景色の意味で用いられる言葉である中村ほか 編 (1991): 42ページ。植物学者がドイツ語のLandschaft(ラントシャフト)の学術用語としての訳語としてあてたもので、後に地理学において使用されるようになった千田 編 (1998): 1ページ。辻村太郎『景觀地理學講話』によれば、三好学が与えた名称である辻村 (1941): 1ページ。
字義的にも一般的な用法としても「景観」は英語のlandscape(ランドスケープ)に近接したことばであるが概念としてはドイツを中心としたヨーロッパのLandschaftgeographie(景観地理学)の学派のものを汲んでいる千田 編 (1998): 2ページ。
田村明によると、都市の景(街並み)や村落の景(例えば屋敷森や棚田、漁港)など人工的な(人間の手が加わった)景を指すことが多いとしている。使用領域に関して見ると、「景観」の語は行政・司法や学術的な用語として使われることが多い鳥越ほか (2009): 1ページ。日本では2004年に景観法が制定されたが、法律上「景観とは何か」は定義されていない。学術上は、前述の地理学や、ランドスケープデザイン学、都市工学、土木工学、社会工学、造園学、建築学等で扱われることが多い。また、コーンウォールと西デヴォンの鉱山景観のように、世界遺産レベルで取りこまれる場合もある。
国語辞典では、以下のように「景色」・「眺め」として景観を説明している。
景観には地理学的観点、風景地計画論的観点、工学的観点など様々な観点がある。
「景観学」を打ち立てたオットー・シュリューターは、景観を感覚的、特に視覚的に捉えられるものに限定した中村ほか 編 (1991): 9ページ。これは、景観から目に見えない政治や宗教などは景観形成に関係のない限り除外されることになった一方で、景観を位置・大きさや相互関係などから容易に扱えるようになった。その後、景観が個々の景観の構成要素(=景観要素)単独で成立しているわけではなく、相互に関係しながら景観を形成しているという考えが現れ、生態学的な観点の重視が主張された中村ほか 編 (1991): 43ページ。
景観を目に見えるものだけに限定したとき、地理学が隣接諸科学を吸収して発展する過程で不満分子となり、アメリカのによる地理学の「例外主義」への批判や計量革命を経て、「景観」は地理学において重視されなくなった千田 編(1998):7 - 9ページ。代わって人文主義地理学の台頭と共に「風景」が新しい用語として導入された千田 編(1998):9 - 10ページ。しかし、地理学で下火になった「景観」の語が建築学者や都市計画家の間で盛んに使われるようになったため、再び地理学界に「景観」が復活した千田 編(1998):9ページ。現在は「騒音景観」 (noisescape) のような目に見えないものも景観として扱われる米田・潟山 訳編(1992):48ページ。
中村和郎は『地域と景観』の中で、「景観」の概念を以下の5つにまとめた中村ほか(1991):10 - 11ページ。